元・中洲No1高級クラブ嬢あやのメルマガ始めました❤︎

「あやさんって何者?」とよく聞かれるので、NG無しで赤裸々に自分語りしてみた(恥ずかしい笑)

こんにちは、元・中洲のNo1高級クラブ嬢のあやです。

はじめに簡単な自己紹介させていただきます。

私にちょっとでも興味を持ってほしいのでちょっと強めの言葉で書きますね💕

でもすべて本当の話です。

■元・中洲の高級クラブ嬢。入店して約3ヶ月で指名No2、約8ヶ月で指名&売上No1を獲得

■40種類以上の業種、経営者の方を接客

■合計1000名以上の男性と会話経験をもとに恋愛コミュニティ運営

■20代〜60代の男性100名以上を直接指導しモテ男に

■発行部数8000人超えのメールマガジン運営

■恋愛チャンネル運営。顔出さず半年で登録者1万人突破

■マッチングアプリ1週間で300いいね。1ヶ月2000いいね。最高3000いいね獲得。総いいね数5000超え

■夜職の経験をもとに独立、現在1人で年間3億円の売上を夢に奮闘中

中洲の高級クラブで働いていた経験をもとに、

現在は主に40,50代の男性に向けてブログ、メルマガ、YouTubeなどで恋愛の発信をしています。

趣味はゴルフでこの間スコア106でやっと中級者になれました。

最近船で釣りをすることにもハマっていますが、釣りの方は全然です。よく糸がぐちゃぐちゃに絡んでしまって、船長に助けてもらっています(誰か教えてほしいです笑)

あと国内、国外問わず旅行に行くのも好きです。

小さい頃から男手1つで育ててくれたパパと妹と3人でよく国内の温泉旅行に行ったりします。国内で家族旅行するときはじっくり予定を立てることが多いです。

逆に海外は「よし明日行っちゃえー」というノリと勢いで翌日には飛行機に乗って1人でふらっと旅立ったり、あとは仲の良い友達を誘って行くことが多いです。

この間も美容のことがしたいって思い、翌日には韓国に行ってました

ほかにも週に3〜4回くらい筋トレしたり、エステに通ったり、夜職時代に体型を維持するためにやってた自分磨きやケアがそのまま趣味になっちゃいました。

そんな私ですが、この記事では私の幼少期時代から遡って、

なぜ夜職を始めたのか?

なぜいまの活動をしているのか?

などなど、NG無しで赤裸々にぶっちゃけたいと思うので、ぜひリラックスしながらゆっくりしていっていただけたら嬉しいです。

それでは、あや物語の始まり始まり〜

何事にも興味津々(そして投げ出す)幼少期

小さいころの私を一言で言うと、何にでもすぐに興味を持つ女の子でした。

あるときテレビで氷のステージを優雅に滑っている女性を見て「フィギュアスケートがやりたい!」と言い出したかと思えば、ピアノやってみたくてピアノ教室に通ってたし、突然「字が上手くなりたい」と手を真っ黒にしながら習字もやってみたし、

テニスやソフトボールもやってみたりしましたね。

「ムカつく!」って思う人いるかもしれないけど、小さいころから何でも卒なくこなし、ある程度の結果を残すことはできました。

フィギュアスケートでも賞をもらったり、ピアノのコンクールで銅賞になったり、習字でも銅賞か銀賞(忘れました笑)になったり。

テニスやソフトボールでも割といいところまで結果を残すことができました。

学生時代も、学校の行事でバスケのメンバー選ばれたり、水泳やってみない?楽団に入らない?と色々お誘いを受けたこともあります。

でも私はこの器用貧乏がかなりコンプレックスで、何にでもすぐに興味を持って取り組む反面、ある程度成果や手応えを感じちゃうと、そこで飽きちゃって投げ出してしまっていたんですね。

何でも卒なくこなせると言えば聞こえは良いけど、裏返すとすべてが中途半端。

何1つ物事を極めたことがない。

1位を獲ったことがない。

誰にも誇れるものがない。

そういうふうに思っていました。

小学校の頃、両親が離婚する

ママとパパは小学校の頃に離婚しています。

ママって、いわゆる変わり者で。

多くの家庭の母親って子ども第一優先で、お金も時間もすべて子どもに注ぐってイメージかなあって思うんだけど、うちのママは真逆でした。

ママったら凄いんだよ?

仕事終わったら、おうちに帰って、子どもたちにご飯を作って

・・・じゃなくて、

仕事が終わったら、自分磨きのために海水プールに行って10キロ泳ぐのが日課で、最後はサウナで老廃物を取り除いたりとか。普通、仕事終わりに10キロも泳がないよね。

かと思えば、違う日はジムのスタジオに行って、腹筋エクササイズ、ボクササイズ、ダンスとか2時間ぶっ通してやって汗を流していたり。

これだけの運動量を仕事終わりに凄くない?w

毎日熱心に運動しているかと思いきや、急に中国語の勉強を始めて、お家では中国語が口癖になったり。かと思いきや「副業したい!」って急にブログを書き始めたり。

怪しいFXに手を出しそうになって、パパが必死に止めてたこともあったなあ。

とにかく自分の人生に熱中してるって感じで、子どものことすらガン無視で、何にでも興味を持って、取り組んでるって感じでした。

こうやって書いてて思うのは、私にもママの血が流れてるよね。

ママはね、よく言えば自分の人生の道を貫く人、自分の人生を本気で楽しむ人。

悪く言えば、自己中を極めたような人だったから、結果、育児放棄みたいになり、パパとは異あるごとに、ちょくちょく衝突してたんだ。

それこそパパは対局みたいな人で、自己犠牲。子ども第一優先。自分のことよりとにかく、他人、子ども、子ども、子ども、って。

でもお仕事が大変でよく遅くなってたりしたから、

私と妹は家で留守番してることが多くて、

あるときパパがママに「子どものご飯くらい作ってやれよ」

って言って。

ママは「もうあやたちは大きいんだから、それくらい自分でできるわよっ!」

って、私たちが発端の喧嘩をよくしてた。

些細なケンカなんて日常茶飯事で、たまに「もうアンタとは離婚!」ってママが怒鳴り散らして、コップとか投げて、割れたガラス破片が飛び散ったりして。

私や妹からすれば、もう私たちのことで争わないで〜って思いながら、泣きじゃくる妹を抱きしめながら「大丈夫だよ〜」ってやってたんだけどね。

でもね、ある日、本当に離婚しちゃってさ。

ほらドラマや漫画とかで離婚した親の話とかあるじゃん。

あ、これ本当にあるんだってなって。

作り話の世界じゃなかったんだなって思ったよね。

なんだかんだ喧嘩しててもママとパパはずっと一緒に居るのかなと思ったけど、ある日とうとう離婚しちゃったんだよね。

親権ってお腹痛めて産んだ母親側が有利で、基本的に子どもは母親の方に着いて行くんだけど、うちはママが自分道極まれり!みたいな人だったから、親権はパパがもらうことになって、私たちはパパの方に着いて行くことになったんだ。

家族最後の日のことはよく覚えてて。

最後にママとバイバイしたときすら、なぜか不思議と悲しくなくて。なんというか、もっと顔をぐちゃぐちゃにして涙と鼻水を垂らすのかなと想像していたけど、虚無感の方が強かった。

あー、ついにこの日が来たかー。でも仕方ないかー。

みたいな感じ。

いやいや他人事ごとじゃないよ?

みたいな。

妹ももっとワンワンに鼻水垂らして泣きじゃくるかなって思ったけど、なんか妹もすんってすました顔してて。

あのとき妹も何を考えていたかわからないけど、私はママとの思い出を振り返っても、あまり思い出せなかったから、きっと妹も同じようなこと考えていたのかなあ。

いま大人になって妹に当時の思いとか聞き出そうと思えば、聞き出せるかもしれないけど、それも野暮かなって思って、いまだに聞き出せていないんだ。

両親が離婚してしっかりグレた(笑)

両親が離婚しても不思議と悲しくなかった。泣き喚いたりしなかった。

でも、虚無感って言うのかな。

何か心の大事なものがこぼれ落ちちゃったかのような。

パパの前では変わらず良い子のつもりだったけど、

中学から高校のときまで、あーなんかもう学校とか、勉強とか、部活とか、なーんかどーでもいいや。って自暴自棄になってグレちゃったんだよね。

そのときは熱中してるものも特になかったし。

両親が離婚してて虚無感もあったからなのか、特に熱中してることもなかったし、心の穴がぽっかり空いていました。

パパはずっと仕事で毎日遅かったし、勉強も身が入らない、部活もやってない、それならなんかバイトでもしてお小遣いほしいなーってタイミングで、学校サボって街をふらふら徘徊していたら、偶然スナックの看板が目に入って、

ああなんか夜働いてみようかなー。暇だし。お金あったら遊べるし。

そんな温度感で、スナックのママに雇ってもらうことになったんだ。

スナックのママ、カナエさんって言うんだけど、

カナエさんが面白い人でね。私、面接受ける寸前に気付いたんだよ。

(あ、やばい。私未成年だからお酒飲めないや)

(スナックってお酒飲む仕事だから面接受かんないよね)

って。

でももうアポ取ってたしダメ元で面接したら

「・・・まあとりあえず働いてみな」

って感じで働かせてくれたの。

いま振り返ると、私が自暴自棄になってたのを察してくれて、私を拾ってくれたのかなって思うんだけど、そこから私の人生初の夜の仕事が始まるんだよね。

まだ学生で、周りの子たちは部活に熱中している中、私だけ大人の街に溶け込まれていって、スナックの裏口からこそーっとお店に入るのが、大人になった感じがして悪くない気分でした。

ふふっ、いま思えばバカみたいだよね。

お店に入ったらカナエさんがいて、緊張しながら挨拶して、あーついにお仕事始まるなあ。どんなお客さんが来るんだろう。

って、そわそわしてると、チリンってスナック扉の鈴のなる音がしました。

ああ、きたきたきた・・・!

今でもね、鮮明に覚えているんだけど、

私が最初に接客したお客さんって、夫婦で一緒にスナックに来られた方々だったの。

カナエさんのお店って古くからやってて、カナエさんの人柄もあって暖かい場所だったから、男女関係なく、ときには夫婦が来られるときもあったんだ。

入ってきた夫婦にカナエさんが、ふぅ〜っとタバコ吹かせながら

「今日は早いね。これ新しい子。あやって呼んだげて」

って、ぶっきらぼうに紹介してくれて

「あ、あ、あやです。は、初めまして」

って、緊張しながら挨拶すると、

夫婦はくすくす笑いながら

「あやちゃん、カナエさんのところで働くと大変だよー」

って私にお酒をご馳走してくれたんだ。

焼酎の芋割りをご馳走してもらって「ありがとうございます」って始めてお酒を口につけるんだけど、子ども舌だった私は

(・・・うわっ、まっず)

って思わずぺっぺって吐き出しそうになってさ。

でもせっかく夫婦が厚意でご馳走してくれたので、美味し〜って演技しながら飲んだんだけどね。その夫婦にたぶん私が不味いの我慢して飲んだのが伝わったんだろうね。

微笑ましい顔をされたあとに、今度はお酒じゃなくて、ジュースとか、おつまみとか、ご飯とか一緒に食べさせてくれてたんだ。

いま思い返してみれば、たぶん化粧をしてたとはいえ若く見えたのとお酒を飲んだ反応から、何かしらの事情があって働いているんだろうって色々と察してくれたんだと思います。

きっと夫婦だけじゃなく、カナエさんもそうだと思う。

夫婦とカナエさんと一緒におつまみやご飯を食べながら私のことを色々聞いてくださって、

私はママが変わり者で離婚しちゃったこと。私と妹とパパの3人で暮らしていること。ちょっとグレてて学校や勉強をサボり気味になってること。

不思議と何でも話すことができました。

タバコ吸いながら黙って話を聞いてくれたカナエさんも、夫婦も、私の話を一切否定することなく、うんうんと話を聞いてくれて、心がすぅーっと楽になってね。

なんだか居場所が見つかったような気がしました。

・・・それに私はすごく嬉しかったんです。

その夫婦にパパとママの影が見えたから。

ああきっと離婚せずにパパとママが仲良くしてたら、こんなふうに私や妹と仲良くご飯食べて、何てことない会話していたのかなって。

あのときのママとパパが離婚して心にぽっかり穴が空いたかのような虚無感は、この2度と味わえない空間に対してだったのかなって。

だから私にはカナエさんと夫婦の包み込むような温かさが、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

ああだめだ。なんか書いてて泣きそうだ。

私の夜職、人生初のお客さんがこの夫婦で本当に良かったと思う。

この先、夜職で働く決心を後押ししてくれたのも、夜職に誇りを持って働けたのも、この夫婦のおかげ。

カナエさんも当時、ただの学生だった私を受け入れてくれて本当にありがとう。カナエさんのお店は本当に暖かい人たちばかりで、楽しく働くことができたよ。

私を実の娘のように、温かく接してくださった夫婦の方

娘のように可愛がってくれた、笑い声に貫禄があるおっちゃん

中小企業を経営されていて、会社の大変さや社会のことを学ばせてくれた社長

そして、私が拙い接客をしても、温かく見守ってくれたカナエさん。

みんな私に居場所を作ってくれてありがとう。

・・・あ、そう言えばね!

ときどき、地元に帰って顔を出すことがあるんだけど、みんな温かく迎え入れてくれるよ。

カナエさんのお店は本当に学生時代の私の居場所であり、私の暖かい思い出の場所。

社会人時代。中洲の高級クラブへ

私は成人するまでの5年間、スナックで働き続けました。

20歳になったら夜の世界で働こうって決めてて、私に一切迷いはありませんでした。

カナエさんに「夜の世界で本格的に働いてきます」と挨拶したら、またいつもの調子でタバコをふぅ〜と吹かしながら「何かあったらいつでも戻っておいで」と言ってくれて。

私は中洲の高級ラウンジで働くことにしたんだ。

夜の店と言っても、キャバクラ、クラブ、ラウンジなど様々な名前で呼ばれていて、

今でもたまに「なんであやさんは高級クラブにしたんですか?」と聞かれるんですが、直感です(笑)

ホームページ見て、面接受けて、その店のオーナー(ママ)にご挨拶して、直感でここにしよう!って決めてクラブにしました。

高級クラブでは、カナエさんのお店と打って変わってキラキラした世界でした。

カナエさんのお店が地元の暖かい居場所だとすると、高級クラブはキラキラした華やかな世界って感じ。

客層も全然違うし(経営者の方や、役員クラスの方がたくさん来られました)、お客さんのお金の使い方も全然違います。

キャスト(女の子たち)の成り上がるぞ!という気合いの入り方も違う。

まるで和気あいあいとしたサークルと、全国を目指している部活動みたい。

全然違う雰囲気に最初は、緊張したり、戸惑ったりもしたけど、スナック時代に培った

「私は私らしくいけばいい。お客さんに楽しい時間を提供するんだ」

これだけを意識して接客していました。

そして、そのスタンスが功を奏したのか、お客さんにも恵まれ、私は入店してから3ヶ月で指名No2になることができました。

「あやちゃんといると楽しいから」
「あやちゃんともっと話したいから」

ありがたいことに

こういうふうに言ってくださるお客さんがどんどん増えていったんですね。

ちなみに私はシャンパンの押し売りだったり、いわゆる枕営業的なことはしたことは一度もありません。

押し売りって私のスタンスとは違うし、それで売れてもお客様が嫌な気分になるだろうなーって思うし、体を売るのも違うだろうと考えてて。

ただただお客さんに楽しい時間を過ごしてもらおうという一心で接客していました。

お給料も社会人1年目にしては、考えられないような額をいただいていて、大変、充実した毎日を過ごしていました。

ここまでの話だと、高級クラブに入店して3ヶ月で結果を出して、あやさんってやっぱり凄いんだってなるパターンかと思うんですが、

実はここから苦難が待ち受けるんですよね。

キャストの妬みでいじめに遭う

あなたがもしキャスト(店で働く女の子)だったとして、最近入店してきた若手が凄い勢いで台頭してきて、自分のポジションを脅かしてきたらどう思いますか?

この目の上のたんこぶを排除したい。

実際に、私が台頭してきてよく思わなかった子は多かったと思います。

中には実際に行動に移してきた子もいました。

私が働いていたお店では、

キャストの持ち物は、待機中でも、接客中でも、すぐに動けるように、鍵のない簡易的な共通ロッカーにポーチや化粧品を置くだけのシステムだったんですね。

そんなとき、ある事件が起きます。

私を指名をくださっているA社長の来店が入り、黒服の方が「あやさんA社長が来店されました」と伝えてくれたので、ロッカーからポーチを取り出そうとしたら、

私のポーチはぐっしょり水浸しになっていました。

(・・・え、なにこれ)

一瞬、頭の中が真っ白になりました。

私は待機しているとき、お手洗いに1度行ったけど、ポーチは落としてないし、そもそもお手洗いにポーチを持って行ってない。

お酒がこぼれた?いやいやそもそもロッカーにお酒は置かないし。

ってことは、誰かが私のポーチを水浸しにした・・・?

頭の中で色々駆け巡りますが、指名が入ってるので、A社長を待たせるわけにはいきません。

ポーチの中には名刺やハンカチ、つまり接客中に必要なものが入ってるので、私は水浸しのポーチをできるだけ水を切って、すぐにA社長のもとに向かいました。

正直、心の中はぐちゃぐちゃで泣き出しそうでした。

・・・どうしようどうしよう。

誰がこんなことしたのかな。

いつから嫌われてたのかな。

ああだめだ。考えられない。考えたくない。

・・・もう逃げたい。帰りたいよ。

ああでもA社長の前が待ってくださっている。

いつも良くしてくださっているA社長の前で暗い顔しちゃダメだ。

しっかりしなきゃ。

私は震える体に叱咤を打つようにA社長に「こんばんは〜」と精一杯の笑顔で挨拶し、その場の接客を何とか乗り切りました。

永遠とも思える接客が終わり、そそくさと待機場に戻り、平静を装いながら、お手洗いに駆け込みます。

やっと終わった。長かった。

ポーチが濡れてるの気付かれてないよね?

結局、誰が私のポーチを濡らしたんだろう。

なんてことを思いながら、ふと鏡を見ると、一粒の涙が頬を伝ってるのに気が付きます。

それを見て自分で驚いたあとに、涙が止めることができなくなりました。

誰が?

怖い。嫌だよ。

なんで?

私何か悪いことした?

何でなの?

色々な感情がごちゃ混ぜになって、涙が止まりませんでした。

No2から伸び悩む現実・・・

後日ポーチの件は、ママ、幹部の方、黒服の方たちで大騒動になって、

結局、犯人って言っていいのかな。

私のポーチを水浸しにしたのは、2個上の先輩であるりなさん(仮名)って方がやられたみたいで、一応謝っては来られたんですけど、上からの指示でりなさんは謹慎処分。

ポーチ事件は一件落着という形になりましたが、私はまた別の壁にぶち当たります。

そう。No2からその先へ進めない。

という壁です。

ここに来て幼少期からのコンプレックスだった、器用貧乏で何でも卒なくこなし、2番、3番は取れるけど、そこから先へ勧めない。

同じ問題にぶち当たると思いませんでした。

夜職は誇りを持っていたので、幼少期の習い事のように投げ出しはしませんでしたが、しかし現実問題として、No2からその先へ進めないという壁に阻まれていたんですね。

店の裏には、売上&指名ランキングという表が常に張り出されています。

店側がキャストの子たちに競争意識やプロ意識を持ってもらうためのシステムなのですが、No2の私の売上や指名数と、No1の方との差が嫌でも目に入り、ランキングを意識させられます。

・・・遠い。なんて遠いんだろう。

いまのNo2の「あや」としての延長線上では、到底追い越せない数字です。

仮に私が2人に増えたとしても、勝つことはできないほど圧倒的な数字でした。

それに胃を痛めるもう1つの要因として、No3、4との方とも僅差で、今月、来月には追い越されるんじゃないかというプレッシャーもありました。

私は幼少期から何でも卒なくこなすことができます。

フィギュアスケート、ピアノ、習字、テニス、ソフトボール・・・。

何でも「それなり」にこなすことができました。

しかし思い返せば、いつも銅賞や銀賞止まりで、金賞を獲ったことはありませんでした。

つまり今まで「1位」になったことがなかったんです。

飽きたから?

途中で投げ出したから?

いや違います。

私は幼いなりにも、自分がいくら頑張っても1番にはなれないことを悟っていたんです。

だから傷付く前に、現実を叩きつけられる前に、逃げていたんだと気付きました。

幼少期や学生時代の人格が、いまの自分の人格を形成するという言葉がありますが、まさかこんな形で、器用貧乏というコンプレックスが私を苦しめるとは思いもよりませんでした。

私はここでも銀賞止まりなのか。

生涯1番に成れず、私は一生、中途半端な人間で終わってしまうのか。

それどころかいずれ3位、4位と転落していくのか。

・・・ああどうしよう。どうすれば良いんだろう。先が見えない。苦しい。

器用貧乏で、中途半端に逃げてしまう私自身をこれほど呪った時期はありません。

人生の転機。伝説のキャバ嬢に会う

停滞が続き、焦燥感に駆られていたころ。

どうしようかと、ベッドで打ちひしがれていたとき、ふと本棚に目が入ります。

ずらっと、接客の本、心理学の本、セールスの本など並んでいるなか、関西や関東で大きな成果を挙げられたキャバ嬢やホステスの方の書籍に目が入りました。

(ああ、彼女たちはすごいなあ・・・)
(私には才能がないのかなあ・・・)

そんなことを考えながら、

「23歳で2億を稼いだ伝説のキャバ嬢」

として有名なNさんのインスタをスマホでぼーっと眺めながら指でスクロールしてたら

その2秒後には、

「あ。そうだ・・・。Nさんに会いに行こう」

と、つぶやいていました。

自分でもなぜそうなった!?と突っ込みたくなりますが、当時の私は切羽詰まっていたのでしょう。

Nさんに会うことが一筋の光明巧妙になるだろうと直感が告げていました。

Nさんは関西のお店でぶっち切りのNo1なのにも関わらず、会社も経営されて女性ファンも多い、凄腕のキャバ嬢の方です。

当時あと1年で夜職は卒業されるということで、最後の出勤期間に奇跡的にタイミングが合い、Nさんが働いているお店に足を運びお会いすることになりました。

あのときは心臓が口から飛び出そうなほど緊張して、喉はからっから、挙動は不審すぎるという完全にヤバい女になっていましたが、

実物のNさんが出てきてからは、さらにテンパっていました。

え、え、Nさんはじめまして、いつもインスタ見てます!毎回いいねしてます!

ほんま?嬉しい〜

わぁ〜気さくすぎてやばい〜、可愛い〜だめだ緊張する逃げたいよぉ〜〜

なんて脳内でパニックになっていたら、

Nさんは私のテンパる様子を見て、

ふふっ、緊張せんとっていいよ〜

って優しくお声がけしていただきました。

そこからNさんのおかげで緊張が少しずつ取れていって

どうやったらNさんのようにNo1になれるんですか?

一番聞きたかった質問をしました。

そしたら

ハイブランド身に付けたり、良いドレス着たり、美容やエステ行くんも確かに大事だけど、それ以上に「知識」にお金かけんといけんよ

それもな、本とかでチョロっと学んだ知識とかじゃないねん。その道のプロからしっかりと学ぶことが大事やねん。だからあやちゃんがこうしてウチに話を聞きに来てくれたんは、凄い大事なことだし、嬉しかったで

こう返ってきました。

確かに私は今まで、良いドレスを着たり、美容やエステに行ったり、ときに本を買ったりして学ぶことをしていましたが、

しかしその実態、器用貧乏な自分にどこか謎の誇りを持っていて、スナック時代に培ったスキルやセンスで、高級クラブでも何だかんだ何とかなるだろうと

自身の「感覚」という曖昧なものに頼ってることが多いことに気付きました。

でも実際に目の前のNさん(本物プロ)から意識してることなどを聞くと、

私との勉強量の差、細かく向けてる意識の差、普段から考えてることの差など、基準値が大きく違うことに気付かされたんです。

たとえば、

・Nさんのお客様1人1人を事細かくメモした営業ノートの中身は、お客さんのカラオケの十八番のことから、身に付けている持ち物のこと、好きなこと食べ物、趣味などがびっしりと書かれていました

・色恋無しでお客さんに応援してもらうための秘訣を教えてもらったときは、No1になるためには、避けてきた枕営業が必要なんじゃないかという現実逃避しかけた自分を大いに反省することになりました。

・ただのNo1じゃなくて好かれるNo1になる考え方を聞いて、NさんのNo1象やご自身がやられている仕事に対する熱意や姿勢に、自分の基準値の低さを知りました。

これらはほんの氷山の一角ですが、

このような差が大きなことから細かいことまでいくつもありました。

とにかくNo1になるべくしてなられたNさんと自分では普段から考えていること、取り組んでいるものなどに、基準値に大きな差があったんですね。

ああなるほど。だから私はNo2の座に甘んじることになったのか。

Nさんと何もかもが違いすぎる。

でもこの差を埋めていけば、私もNo1にきっとなれるはずだ。

Nさんに会った日から私は意識を入れ替え

・定期的にお金を払ってNさん(その道のプロ)から学ぶようにした

・接客したお客様の大量のメモ、帰ってから改善点など振り返る

・メモをもとにお客様1人1人に合わせた心を込めたLINEをする

・接客中の自分のキャラや立ち位置も常に振り返り微調整していく

・美容、エステ、ドレスは今まで以上に力を入れる

・お客様はもちろんのこと黒服や裏方の人たちにも敬意し、感謝の念を忘れない

こういった誰もが面倒臭がってやらない地道なことを誰よりも徹底しました。

すると、お店側の方々の反応も徐々に変わっていき、お客さんも私に会いに来てくれる回数や頻度も増えていって、じわじわと業績が伸びていき、

ついに8ヶ月後に指名も売上もNo1になることができたんです。

No1の座を手放す決断と、これからの未来

「ええ〜、今辞めるのは勿体無いよ」
「あやは絶対もっとビッグになれる」
「もう少し続けてみてから考えても良いんじゃないの?」

ありがたいことに、キャストの子、幹部の方、ママに言われた言葉です。

私は半年ほどNo1をキープして、高級クラブを辞める決断をしました。

1、2ヶ月だとマグレかもしれないので、自身に踏ん切りをつけるためにも、半年間No1をキープし続けました。

給料も待遇も、年齢で考えるとかなり良かったんですが、次の目標が見つかったので「辞める」という決断をすることにしたんです。

1年、2年とNo1の座をキープしながら、お店の売上に貢献しつつ、私自身も大きく稼いでいく。その選択肢はあったと思います。

いつかは自分のお店を持ってみる。そんなことを考えたこともあります。

オーナー(ママ)や幹部の方からも、辞めるという話をしたとき、

ありがたいことに

「まだまだこれからなのに」
「あやならもっと上に行けるのに」

とかなり引き止めていただきました。

でも私はNさんとお会いしてNさんの魅力や生き方に強烈に惹かれ、私も私が自分で選んだ道を極めて、オンリーワンの存在になって輝いていきたい。

そして本当の意味で、器用貧乏というコンプレックスを克服して、もっとたくさんの方に喜んでもらえるよな存在になりたい。

そう思ったんです。

Nさんは、

「お金は使い方次第で全然違う未来を連れてきてくれる「道具」でやりたいことを実現したり、チャンスを得るための「手段」なんよ」

「だからお金を稼ぐこと自体が目的になってしまったら、こんなにつまらんことはない」

とおっしゃってました。

だから私は高級クラブでNo1になった座を手放して、一度素の「あや」に戻り、またイチから違う形で、今度はオンリーワンを目指したいと本気で思うようになりました。

幼少期から思いつきで、色々なことにやってきましたが、思いつきではなく、本気でオンリーワンを目指したくて、私は独立という道を選びました。

そう。それが

「あや / 元・No.1高級クラブ嬢が教えるイケおじTV」というYouTube番組を始め、このブログやメルマガを含む40,50代の方に向けた恋愛発信の誕生秘話なんですね。

私はNさんからいただいた、

「それもな、本とかでチョロっと学んだ知識とかじゃないねん。その道のプロからしっかりと学ぶことが大事やねん」

この言葉を胸に、独立してからはビジネスの知識も、YouTubeの知識も、Nさん同様に、その道のプロにお金を払って学ぶようにしてきました。

Nさんのアドバイスのおかげで、ありがたいことに独立してから大きな挫折を味わったことがありません。

私は余計なプライドを捨てて、ガムシャラに食らいつき、プロから素直に学ぶことで器用貧乏を克服することができたんですね。

なんで夜職から恋愛の発信なのか?

それにしても、なんで夜職から急に恋愛の発信なの?

そう思われた方もいらっしゃるかと思いますが、2つの理由があります。

1つ目は、私の夜職の経験を活かせるから

スナック時代をはじめ、高級クラブに居た時期を合わせると、私はかなり長い間、夜の世界にいた人間です。

正確ではありませんが、どれだけ控えめに言っても1000人以上の男性とお話ししてきたので、人様に恋愛を語れるほどの知見は膨大だという自負があります。

それこそ、No1になるためにたくさんの本を読んだり、知見を広げたり、様々な経験を積んだり、Nさんから学んだり、多種多様な業種の方と関わってきたので、

何をすれば、女性から好感を得られて、いわゆるモテることができるのか、女性目線から論理的わかりやすく語ることができます。

年代が主に「40〜50代の方」にというのは、

私が接客してきたお客様がこの年代層の方が多かったので、一番お力になれると思ったからです。

2つ目は、両親のことが大きく関係しているから

最初の方でも行った通り、私の両親は離婚しています。

今ではどちらが良いとか悪いとか思っていませんし、いろいろな男女の関係、結末があるんだと理解していますが、

それでも強いて両親が離婚した要因を考えるのであれば、自由奔放なママと、自己犠牲なパパが、相反したからだと思っています。

性格や価値観が完全に一致するのは、夫婦限らずどの人間関係でも難しいとは思いますが、

それでも両親がお互いにお互いのことを深く知ろうとしたり、話し合って、受け入れ合うことができたら?

もっと言えば、お互いを知るためにちゃんと学んでいれば?

スナック時代の最初の夫婦のお客様のように、ずっと仲良く居られる世界線があったかもしれないなと思うんです。

女の私が言うのもあれですが、

女性という生き物は本当に天気みたいな存在で、その日その日の気分や体調によって、晴れだったり、雨だったり、雷だったり、コロコロと言うことや態度が変わったりするものです。

男性はどちらかというと論理思考が強くて、合理的な思考を持ち合わせていますが、

女性は基本的に感情で動くことが多いので、本当に天気みたいな存在で、ときにダメだとわかってても自分自身でコントロールが効かないことすらあります。

私のママもそれは例外ではないので、パパがもう少しこの辺の女性のことに興味関心を持ち、ママに歩み寄っていれば、また違う未来があったかもしれないなと思います。

しかし、そのためには女性心理や本能の理解だったり、女性特有のコミュニケーションを知っておく必要があるんですよね。

一例ですが、パパとママが喧嘩するとき、パパはいつも正論を言ってました。

たとえば

「もっと子どもたちのことを考えて子どもに時間を割いてやれよ」

みたいな感じです。

途中まで話し合いだったのに、パパの発言に対してママがカチンときて感情の制御が利かなくなって、ガラスのコップを投げるような大喧嘩に発展することが多々ありました。

あのときパパが女性のことをもっとよく知って、ママに適切な対応ができていれば、また変わった未来が訪れていたかもしれません。

でもこれはパパを責めているわけではありません。

むしろパパは大好きです。男手1人で私と妹を育ててくれましたから。

ただ一方でパパのように「知らない」だけで、望まない方向に物事が進むことってあると思うんです。本当は夫婦円満に仲良しでいたかったけど「知らない」だけでコミュニケーションや対応を間違えてしまう。

こういうことって私たちの両親以外にもあると思うんです。

だからお互いを知るために、男女の違いだったり、コミュニケーションだったり、学んでいればまた違う結果になったかもしれない。

そしてさっきも言ったんですけど、

男女という生き物の違いがわからずに、パパとママみたいに喧嘩し合う夫婦だったり、カップルだったり、そもそも付き合い方に悩んでいる方は本当に多いです。

夜職時代も、カップルや夫婦間で上手くいってないという相談を受けたこと何度もありますし、また気になってる女の子に上手くアプローチできないという相談も受けたことがあります。

それを聞いて私は他人事じゃないなと思いましたし、その反面、もっと勉強して「知っていれば」叶っていた恋、叶っていた関係あったのになって思うこと多々ありました。

「あやちゃんもっとそれ教えて!」

と、私に恋愛のアドバイスを求めてくださるお客様も居て、

素直に聞いてくださった方は、夫婦の関係を取り戻したり、カップルとしてより仲良くなったり、付き合い合い女性と無事に付き合えたりされていて、一緒に喜んでいましたが、

そんな私の両親みたいに悩む人を少しでも減らせれば良いなと思って、恋愛の発信をしています。

40〜50代の男性に向けてるのは、夜職時代で多かったお客さんの年代だからです。

もし恋愛の何かしらで悩んでおられる方が、私のプロフィールを見てくださっているのであれば、今回のこの私のプロフィールから少しでも何か感じ取ってもらえたら嬉しいです。

私のこれからの未来

ちょっと重たい話もしちゃったけど、

パパとは昔から仲良しだし、最近はママともちょこちょこ会っています。

パパにはもっと親孝行していきたいし、ママとももっと関わっていきたい。

大人になったいまだからこそできる関わり方、あるよね。

私自身のこととしては、年商3億稼ぐ女社長になるべくいま精進しています。

まだまだ至らぬ点がたくさんあると思うし、まだまだ道半ばでつまずくこともあると思うけど、諦めずに頑張りますので、あやを応援してくださると嬉しいです。

あ、応援だけじゃだめですよ!笑

これを読んでくださった方も、恋愛でも何でも良いから、何か目標に向けてあやと一緒に頑張っていきましょう。

自分で言うのもあれですが、対人関係、恋愛関係はプロフェッショナルの自負があるので、きっと何かお役に立てることがあると思います。

そのときは遠慮なく相談していただけたら嬉しいな。

このプロフィールだと長くなりすぎて語りきれなかった細かいことなど、ほかのブログ記事で話すかもしれないので、よかったらほかの記事もぜひ読んでみてくださいね!

ではではここまで長文を読んでいただき、本当にありがとうございます。

追伸

なぜ私が情報発信しているのか?理念を語ってみました。

自己紹介の続編にあたるので、よければ読んでみてください!

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